私が小学校二年の頃、父は山梨県に出稼ぎに行った。
 林業で山梨に稼ぎのいい話があったらしい。
 父と同行する二人の方たちの、出発を祝う宴が盛大に行われたのを覚えている。

 翌朝、母に起こされたら父は出発する間際だった
「ちゃんと勉強しとけよ」と頭をなでられ、私は泣きじゃくった。
 父は一年以上帰ってこなかった。

 私はいつも二つ年下の妹を連れて近所の友達と遊んだ。
 父が出発したのは寒い冬だった。

 冬山での楽しみは野イチゴ狩りである。
 みんな竹筒に野イチゴを入れて突き棒で突く。

 それでつぶした野イチゴをゴクリと飲み込むのである。
 最初はちょっと酸っぱいがやがてほんのりとした甘みが口に広がる。

 みんなはその竹筒を父親に作ってもらっていた。
 私は父が出稼ぎで居なかったので、自分で作った。
 妹の分まで作る余裕はなかった。
 みんなで野山を駆け回りイチゴを取っては竹筒に詰めて突き棒で突いた。
 妹がずっと私のそばについて離れない。
 じーっともの欲しそうに竹筒ばかりを見ている。
 私は仕方なく妹に竹筒を渡した。

 妹は喜んで竹筒を口に当てるとゆっくりと傾けた。
 が、なかなかイチゴが落ちてこなかったのだろう。

 今度は急に天を仰ぐぐらい竹筒を傾けた。
 一挙に真っ赤なイチゴの汁が落ちてきて、むせこんだ。
 友達らが腹を抱えて大笑いする。

 私はそんな妹の手を引いて山を下りた。
 畑作業をしていた祖母が妹の顔を見てぎょっとした目で駆け寄ってくる。
「転んで顔打ったんかね?」
 妹は
「イチゴ・・」
 とだけ言って顔を上げた。
 確かに、その顔は鼻血にまみれたような悲惨な顔になっていた。



 去年の年末に帰郷し、母と墓参りに行った。
 母は途中の小道にある野イチゴを指して

「見てん。丸々した野イチゴがいっぱいなっちょらね」
 と、手を伸ばすが早いか口にポイっと入れた。

「あんたも食べてみいや」
 私も一つつまんで口に入れた。
 冷たい実が、口の中ではじける。
 思ったほど甘くはなかった。

「こんな味やったっけなあ」
 私は、いつか妹が顔を真っ赤にして帰ってきてみんなを驚かせた話をした。

 が、母は「そんなことあったっけな」
 と一瞬表情をやわらげると、また野イチゴを次々と口の中に放り込んだ。