鮎釣り師ガバチャのひとり言

釣りあげた鮎で仲間と酒を飲む   これ人生のユートピア!

    2011年02月

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     勇一は、鉄筋籠をしっかり見届けると腰を落として忙しく舵をきった。
     隆栄丸が舳先を東側の地の島に向け速力を上げる。



     地の島は沖の島と向かい合う側はほとんどが岩場だ。海鳥が同じ方を向いて風に耐えている。隆栄丸が近づくと、海鳥たちは強風に煽られて紙くずのように散っていった。
     岩場には朽ち果てた松の残骸が枝を広げ、夥しい流木の山が積もっている。



    「あ、あそこに!」
     浩也が大声で指す。
     こちらにも同様の鉄筋でできた籠があった。勇一が隆栄丸のエンジン音を上げる。



     古文書によると、沖の島と地の島のかがり火が出会った所が一つの見通し線となる。
     その見通し線を沿って南に進み、和歌山城の真上に満月が差し掛かったところに財宝は眠っている。



     今は日中で下見。満月もなく正確な山立ては出来ないのに、浩也らは妙な緊張感に包まれていた。



     隆栄丸が東進する。
     徐々に、沖の島と地の島が接近してきた。浩也は沖の島の鉄筋籠と地の島の鉄筋籠を交互に見ながら縦に並ぶ地点を待った。



     中瀬戸からの強い下げ潮で船が揺れまくる。まるで大河を横切っているようだ。
     三人は示し合わせもしていないのにお互いの役割がわかっていた。船の艫からじっくり友が島を眺めることの出来る浩也が、鉄筋の籠と籠が縦に並ぶところを知らせなければならない。



     勇一が、鵜の目鷹の目で岩礁を避けながら舵をきる。その間にしゃがむ伝達役のリエが、浩也と勇一を忙しく交互に見る。



    「もう少しです、もう少し」
     浩也がリエに向かって繰り返す。



    「で、出会いましたぁ!」
     二つの籠が縦に並んだと同時に船縁にしがみついた浩也が叫ぶ。すかさず立ち上がったリエが勇一に駆け寄って耳元で反復する。



     勇一が慌てて舵をきった。隆栄丸は大きく左に傾き舳先を南に振った。隆栄丸が速度を上げる。



     揺られながら、浩也は遙か太平洋へと続く紀伊水道を遠望した。
     光の粒をはじく海面を眺めるうち、妙にすがすがしい気持ちになってきた。海は何もかもをいやしてくれる目に見えない粒子を発しているのかもしれない。



     母も隆三に船に乗せてもらって何度となくこの気持ちを味わったのだろう。
     父が亡くなってからずっとふさぎ込みがちだった母。



     今から思うと、母が貴志隆三という男と出会ってから明るく生き生きしていたのは、この茫洋たる青海原を眺めたからなのかもしれない。



     勇一は、直ぐに山立ての要領を得た。しきりに振り返りながら鉄筋籠が縦に並ぶ見通し線上を器用に南進する。



     加太の半島を過ぎたところで、住友金属の溶鉱炉が見えた。



     その遙か向こうに和歌山城が微かに見えたが、まだ山立てが出来る大きさではない。



     リエが船上に地図を広げた。



     かがり火の見通し線は埋め立てる以前の海岸線とほぼ並行だ。船が住友金属の魚釣り公園に差し掛かる。ここまで来ると、和歌山城がはっきり見えだした。隆栄丸はエンジン音を落とした。



    「この辺りから雑賀崎までやしょ」
     そう言って、勇一は和歌山城の方をじっと見据えた。
     浩也は手摺りを伝って、勇一の立つ躁船室の方に移動した。



    「ここらは深いんですか?」
    「航路で深いんやしょ。掘ってないとこは埋まって浅いけどよぉ」
     勇一はやたら詳しい。隆三から教わったのだろうか。



    「ワイはな、学校は中学しか出てへんけど港湾のことはくわしいんや。親父について潜りやっとったからな」
    「潜りって?」
    「潜水士のことや。親父は潜ってこんな大きな石を平らに敷いたりしてたんや。ワイは親父に替わって二年前からやけどな」
     勇一は両手を広げ豪快に笑った。



     てっきり漁師だと思っていたのに、と意外な顔をする浩也に勇一は話を続けた。



     加太から雑賀崎までの間は紀ノ川の扇状地で、港湾開発によって大型船のための航路を掘っている。底は巨大な溝のように深い。それ以外の海底は、河川からの土砂が海に堆積して表面は浮泥だ。細かく軟らかな土で歩くこともままならない。



     勇一は、真っ暗な海底で何度も腰まで埋もれ、空気調節でなんとか脱出したが生きた心地がしなかったと言う。



     更に海底には夥しいゴミが堆積しているとのことだ。
     河川は出水時に、土砂だけでなく大量のゴミも排出する。浮泥に埋もれた自転車に足を取られたり、ワイヤーロープに絡まったりと潜水士は命がけだ。



    「まあ二百年以上も前やったらどんだけ埋まってるかわからんわしょ」
     勇一はまた舵を握った。



     防波堤に沿って少し南進すると、南海電車の和歌山港駅に隠れ和歌山城は見えなくなった。南海電車は土手の上にある。むろん江戸時代には南海電車はないが、そこには松原が広がっていてやはり見えなかったはずだ。



     和歌山城が確認できたのは、住友金属の埋立地の西端から本港地区防波堤の北端付近までだった。



     和歌山城が見えなくなると、隆栄丸は雑賀崎の沖でUターンした。



     リエが頭を下げて合掌するのを見て浩也も合掌した。船は一定の音量を上げながら、西脇漁港に向け一直線に進んだ。



    「けっこう船に強いんやね」
     リエが艫に座る浩也に近寄って声をかけた。



    「一応酔い止めを飲んできました。でも、ちょっと酔ってますけど」
    「実は私弱いのよ」
     リエははにかんだ。



    「なんか全然平気そうですけど」
    「皮肉なもんやわ。何で酔わへんのやろ」
     リエはため息をついた。



     浩也は座ったままリエを見上げた。リエの短い髪がパサパサと風になびく。近くで見ても、隆三に似たところはどこにも見あたらない。
     きっと母親にそっくりなのだろう。



    「ほんまはお父ちゃんは私を送気員として船に乗せ、勇一に潜らせて三人で潜水士船をやりたかったんやけど、私が船に弱いばっかりに何もかもが狂うてしもうたんや。それが何で今頃酔わへんようになったんやろ」
     リエは唇の端を噛むと、水平線の方に視線を移した。
     浩也は黙って耳を傾けた。



    「お父ちゃんは仕事はようしたけど毎日酒ばっかり飲んで、リエが船に弱いんはお前のせいや言うてお母ちゃんをいっつも責めたんや。小学六年の頃、私はお母ちゃんのために船酔いに強うなろう思うて友達と遊ぶのもやめて何度もお父ちゃんの船に乗った。それでも私はいつも酔って吐いてぐったりなって、帰ったらいつもお母ちゃんが介抱してくれた。私は洋服のデザイナーになるのが夢やったんや。お母ちゃんはそんな私の気持ちをようわかってくれてて、ついに耐えきれんようになって私だけを連れて家を出たんや。勇一はお父ちゃんがどうしても離さんいうて一緒に連れて行かさんかった。今はあんなに厳つい勇一が、お母ちゃんについていきたい言うて泣き続けたわ」
     リエは舵を握る勇一を虚ろな目で見た。



    「じゃあ今は」



    「お父ちゃんがこんな事になって、おばあちゃんがちゃんとした生活もできへんようになってるから、私がお母ちゃんの家とこちらの家を行ったり来たりしているんや。ほんまにどうしようもないお父ちゃんやった。最後は宝探しやなんて」
     リエは堪えきれなくなったのか、細めた目を潤ませた。




    ガバチャのひとり言

     海に出ると何故か心が癒される。
     母の胎内を満たしている羊水や人間の血液が成分的に似ているという話の通り、ボクらの祖先は海にいたのだろう。

     ひとつ海に訊いてみたい。

     もともとアメーバみたいなのが、ちゃっかり進化して陸に上がって二本足で立ってついには酒を飲みカラオケを歌うようになってアメブロをするなどということを予想していたのかと。
     四十億年後、こんな記事を書いているガバチャというハンドルネームの人間の心を癒すなどと言うことを海の揺らぎは知っていたのかと。
     ・・・ウィッ!! 飲み過ぎたので寝ましゅべーっだ!

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     鈴木民芸品を出ると既に陽が傾いていた。



    「やっぱりユウコのお父さんはすごいわ」
    「あのおっさん何者やねん。ただの鑑定士やなしに学者みたいやんか」 
     勇一が助手席に身をうずくめたまま言う。



     リエの話では関東の有名国立大学で数年前まで研究員をしていたそうだ。



     車が国体道路に差し掛かかると、渋滞に巻き込まれた。



     間違いなく母と隆三は宝探しに船を出した。



     十一月五日、加太の漁港を出航した二人は、いったん友が島に上陸してかがり火を焚いて離島し船を南進させた。
     そして、和歌山城に神無月が乗ったところでエンジンを止め、錨を降ろそうとしたところで何らかのアクシデントに遭遇し海に転落した。



     予定通り事が運んでいれば、付箋にあった六日後の十一月十一日に潜水して宝を探すことになっていたのだろう。



     浩也の頭の中に、その日の情景がうっすらと浮かんできた。



     浩也はとにかく母と同じ経路を辿りたいと思った。
     同じ行動を取れば、母の手がかりが得られるかもしれないし、母の気持ちもわかってくるような気がした。



     母だけでなく、十五年前海に散った父の事も同様にわかるのではないのか。浩也はじっとしていられなくなった。積もっていた焦燥感が、古文書の解読によって一挙に加速した。後は船を持っている勇一に頼るしかない。



     浩也は勇一が言葉を発するのをじっと待っていた。



    「で、どないすんやしょ?」
     勇一が振り返る。



    「ぼく明日学校休みます」
     浩也は待ちかまえたように答えた。



    「明日船出せってかよ」
    「昼間に下見が必要です」



    「私も行くわ」
     リエが運転をしながらポツリと言った。



    「アネキ、大丈夫なんか?」
     勇一が身を起こして訊いた。



    「久しぶりやし。船に乗りたいんや」
     勇一はリエの方をジッと見ると、また背中を丸めて座席に身を沈めた。



    「じゃあ九時やな。朝の九時に西脇漁港に来いや」

     二週間前に父親が死に至った経路を辿るのは、複雑な心境だろう。

     勇一は自分のために付き合ってくれているのだろうか。それとも、数十億円もの財宝が気に掛かったのだろうか。リエはどうなのか。

     大金は人間の行動原理をあっさりと支配してしまう、といつか読んだ本を思い出した。大金のために衝動的殺人を犯してしまうことなど日常茶飯事なのだと。

     父や母が大金に目がくらんだとは思いたくないが、このことが原因で不幸にあったのは事実だろう。

     ふと、浩也はあることに気づいた。

     まさか・・・・・・。

     隆三や母が誰かに殺められた可能性だってあるのではないか。

     同じ宝を探していた者がいないとは限らない。
     昨日までは自分しか知らなかった宝の地図を、今は自分以外の四人もの人間が知っている。それも自分とは顔見知りでも親しい人間でもない。

     昨日今日出会った人間たちばかりだ。数十億円もの大金を前にしたらどのようなことになるのかわからない。

     勇一やリエが何を考えているのか、白髪男やユウコは見たとおり善人なのか。

     浩也は唇を噛んだ。


     翌日、浩也は西脇漁港に向かった。

     勇一は既に隆栄丸に乗り込んで出航の準備をしていた。隆栄丸は、所狭しと並ぶ漁船の中でも大きい方で定員五名とある。

     船体周囲には車のタイヤが取り付けられてあり、中央からやや後方にガラス戸の付いた小さな操船室があった。

     そこから船尾にかけてはテント生地が屋根のように張られている。操船室の両側から長いアンテナのようなものが数本立っており、小さな旗が巻かれていた。

     浩也は、これが母が最後に乗った隆栄丸かと胸が締め付けられる思いになった。

     勇一が、顎をしゃくって浩也に乗船を促す。リエが躁船室から顔を覗かせ会釈すると、忙しそうにロープをたぐり始めた。

     この姉弟は小さい頃から隆三に連れられてこの船に乗っていたのであろう。

     浩也は隆栄丸に飛び乗ると、船縁にしゃがみ込んで木造の船体を撫でた。木製の船縁は朽ちた表面が丸みを帯び、その上に塗られた白いペンキが塗りたてのような光沢を放っている。

     隆栄丸は突如大きなエンジン音を発した。下腹に響くエンジンが体内の血液まで揺さ振ったのか、浩也の顔が紅潮する。

     船はゆっくりと離岸すると、鏡のような水面に波紋を広げて滑り出した。

     港を出て視界に外洋が開けたかと思うと、船は舳先を友が島に振って速力を上げた。

     青い海と空の間に、島とは思えないほど大きな淡路島が居座っている。その左手へと伸びる水平線は地球の曲率をくっきりと表していた。

     海原を半時間ほどつききると、隆栄丸は友が島の南側に達した。

     友が島は、西側の沖の島と東側の地の島の二つの島から成り立っている。南側から北側に位置する両島を望むと、向かって左手に沖の島、右手に地の島がある。沖の島の方が少し大きい。お互いが隣接する側は、沖の島が奥の方に引っ込み地の島が前面に出っ張っている。

     船の位置を右手の地の島側に進めるほど、両島が接近するように見えてくる。

     隆栄丸は、スピードを緩めてまず沖の島の東端へと接近した。

     目の前に、沖の島の断崖が落ちてきそうに迫り上がっている。
     断崖からの返し波が隆栄丸を繰り返し突き上げる。
     不気味なほど青澄んだ海水は、競り合う大岩にぶつかって轟々と白く砕けていた。

     隆栄丸を塩辛い気泡が包む。もはや立っていられない。浩也は、塩辛い唇を舐めるとしゃがみ込んだ。

    「お、おいっ!」
     勇一が目を剥いて断崖の一角を指さした。

     その方向には、生い茂る樹木を突き破って巨大な岩が東に剥き出ていた。その岩にしか気付かない浩也に、勇一ほどの驚く顔は現れない。
     しかし、目を細めてじっと岩を望んでいたリエまでもが、驚きの表情に変わった。

    「鉄筋やあっ!」
     勇一の大声が風に流される。

     船が波で押し上がった時、浩也の目に鉄筋でつくられた冷蔵庫ほどの箱形の物体が見えた。その中から何本かの黒い木の燃えかすのようなものが突き出ている。

     三人は交互に顔を見合わせた。
     これがかがり火なのか。無人島に不自然に置かれた人工物。
     古文書の山立てのことを知らぬ者が見かけても、全く見当などつかないだろう。

     つくったのは隆三か、それとも十五年前の自分の父なのか。火をつけたのは母なのか。
     かがり火の根拠を目の当たりにして、隆三や母が宝探しをしたということがいよいよ現実味を帯びてきた。

     三人は波に突き上げられながら呆然と鉄筋籠を眺めた。




    ガバチャのひとり言

     西脇漁港はガバチャの自宅から自転車でも行けるくらいのところです。
     ちょうど今頃の季節から、たくさんの漁船が出てイカナゴ漁が行われます。

     イカナゴのクギ煮は全国的な食品ブランドになりましたね。
     あれでビールをやると最高なんだよな
    にひひ


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    「火ですよ、火ぃ」
     白髪男はみんなの顔を見まわした。



    「あっ」
     浩也が声を上げる。



    「狐の送り火!」
     リエとユウコが顔を見合わせて言った。
     勇一がくわえ煙草を外し、口をポカンと開けた。



     思いついてみれば当たり前のことだった。古文書には、半円が接したところに米粒ほどの塗りつぶしが縦に並んでいた。それは間違いなく、つむじ風剛右衛門が家来に焚かせたかがり火だろう。



     暗闇の海で、友が島方面の二つのかがり火が縦に並ぶところに船を移動する。そのかがり火が縦に並んで見える状態のまま船を南進させ、和歌山城の上空に満月が乗ったところで船を止める。



     当時、和歌山城は夜中でも灯がともり明るかったのではないのか。あるいは、満月なら白光して見えたのかもしれない。



     船術に長けたつむじ風剛右衛門は、夜の海から見える四つの明るい目標物をあらかじめ想定していた。



     莫大な財宝を陸に埋めようとすれば、数人の家来を要し盗掘のリスクが高まる。海ならば財宝を家来に船に積み込ませ、暗くなるまで出航を待てばよい。後は、目的地に行って海に投げ込むだけなのだ。労せずともやがて紀ノ川の土砂が埋めてくれる。こんな楽な埋蔵方法は他にない。



     ただし、この場合でもかがり火を四カ所焚いた方法での山立てだと、関わった家来によって宝の在処がわかる。



     だから、四つの目標物の内二つは、つむじ風剛右衛門自らのみ知りうるものでなければならなかった。



     つむじ風剛右衛門は江戸時代の夜に、和歌山沖からでも確認できる陸の目標物を思案した。



     それが和歌山城と満月だったのだ。





     皆の推測はほぼ一致した。



    「ほんまに親父はそんな事しに行ったんかいなあ」
     勇一があぐらをかいて項垂れる。リエも口を真横に結んだ。



     浩也は、あの晩の目映いほどの満月をはっきり覚えていた。母と隆三があの満月を頼りに、古文書に記されている山立てをしようとしたに違いない。それに祖父から聞いた父のチャッカマン、これもかがり火に火をつけた道具に違いない。



    「あのぉ、この端にも何か書かれてますよね」
     リエが古文書を指さして訊いた。古文書の左端にミミズの這ったような文字が二行書かれている。



    「まあ、これを書いた者が財宝が盗掘されるのを牽制するために書いたものでしょうが」
      白髪男はそう言って少し口を歪めた。



    「なんて書いてあるんですか?」
     浩也が訊いた。



    「財宝に手をつけし者、剛右衛門の呪いにより末代まで地獄へと堕ちる」
     白髪男は、カチャカチャと音を立ててコーヒーをすすった。



     浩也の眉間にしわが寄る。その後ろで勇一が舌打ちをした。



    「けっ、昔の野郎がいい加減なこと書きやがってよ」
     勇一は首枕をしてプイッと寝っ転がった。



     この文章の解説をしなかったのは、白髪男が自分たちの心情を気遣ってのことだろう。 重苦しい場の雰囲気に浩也らは暫し押し黙った。白髪男は、冷めたコーヒーをわざと音を立ててすすっているようだ。



    「ただ・・・・・・」
     と、白髪男は何かに気付いた表情で腰を上げた。




     白髪男は部屋の隅の書棚を探ると小さな冊子を取り出した。
     表紙には平成十七年の旧暦と書かれてある。白髪男は忙しく捲るとある頁を開いて首を小揺すりした。



    「今年の神無月は十一月ではありませんよ。今年は旧暦の閏年(うるうどし)にあたります。閏文月(うるうふみつき)があり、神無月は例年より一月遅れの十二月上旬になります」
     白髪男は新暦と旧暦の違いや閏年をたとえて旧暦の閏文月の説明をした。



     が、浩也は直ぐに理解できない。リエや勇一も首を傾けて聞き流しているだけだ。



    「一月ずれると場所が大きく変わるんですか」
     説明が終わるのを待ちかねたように浩也が訊く。



    「多少変わりますがそんなに大きな差ではありません。計算も出来ますよ」
     白髪男は皆の顔を見渡しただけでその説明はしなかった。



    「親父らの行った日は違う日やった言うことか」
     寝ころんだまま勇一が言う。



    「断定は出来ません。古文書に書かれている神無月が、今ここで私達が特定した満月とちゃんと合っているかどうかはわりません。まあ一月二月のずれはあっても、とにかく神無月の頃には違いないでしょう」
     白髪男はそう締めくくった。



    「神無月の頃」
     と、浩也は白髪男の目をしっかりと見返した。





    ガバチャのひとり言

     つむじ風剛右衛門が考え出した「山立て」を図にすると以下のようになる。
     友が島の地の島と沖の島の隣り合う場所でかがり火を焚き、それが重なるように船を南進(図では下側)させ、和歌山城の上空に神無月の満月が乗ったところで宝を海中に放す。

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    「おそらくこれは和歌山城と満月を示しているものだと思います」
     リエだけが理解したように相槌を打つ。



      和歌山城は別名虎伏城と呼ばれている。
     それは、城全体の形が虎が伏したように見えるからだ。つまり、図の三角形は和歌山城の天守閣、その上の円は神無月の満月を示したものだという。



    「もう一つがさっぱりわかりません」
     白髪男は両手を大げさに広げた。



     天狗の鼻の先にある大小の半円は、向かって左が大きく右が小さい。正確には両方の円が接したところでやや重なっており、ひょうたんを立てに割って寝かせたとような形だ。



     白髪男はこれは友が島に違いない、というがそこで首を傾げる。



     これがね、と言って半円の交わったところに指を置いた。



    「このシミみたいなの」
     半円が接したところには米粒ほどの塗りつぶしが縦に並んでいる。



    「最初は、単なるシミだと思ったんですがね、拡大鏡で見るとどうやら意図的に描かれたもんなんですよ。これが何を示すのかさっぱりわかりません」
     と言って今度はその横の文字を指した。



    「それとこれ。二匹の狐出会うたりって書かれてます」
    「二匹の狐出会うたり」
     勇一がゆっくりと反復した。



    「これが解れば宝の埋まっている場所が明らかになります」
     浩也は息を飲んだ。ただ、何故明らかになるのかは解らなかった。



    「そ、そんなんでどうしてわかるんや」
     勇一が訊いた。



    「山立てですよ」
     白髪男がにやりとするが早いか、ぬあーっと勇一が奇声を上げた。



    「や、山立てぇ」
     と声を張り上げる勇一の横で、リエがえっと小さく言った。



    「山立てって漁師の子しか知らんかなあ」
     白髪男が口元を緩めてユウコを見る。ユウコは首を斜めに傾けるだけだ。



    「山立てって何です?」
     浩也が白髪頭に訊くと後ろから勇一が説明し始めた。が、よくわからない。



    「勇一、それじゃあわからへんわ」
     リエの言葉に勇一は口を尖らせた。



     白髪頭はやおら立ち上がると、傍にあったペン立ての中からボールペンや色鉛筆を取った。四本用意すると、ユウコに二本持たせた。



    「こうやって、自分の目の前にボールペンを一本ずつ持って前後に立てて」
     白髪男がお手本を見せるとユウコも真似た。白髪男とユウコは立ち上がって部屋の端と端に移動した。



    「いいかい、私の二本の色鉛筆が重なってひとつに見えて、なおかつユウコの二本のボールペンが重なってひとつに見えるところに立ってみなさい」
     白髪男は部屋の真ん中に座っている浩也に言った。
     浩也は言われるとおり、白髪男の鉛筆とユウコのボールペンを何度も振り返りながらうろうろと部屋の中を移動した。



    「ここです」
     と浩也は立ち止まった。



    「もう解っただろう。海で言うと君が船だよ。私の鉛筆は陸上に立つ煙突、ユウコのボールペンは二つのビルとでも思ってくれ」
     浩也は口元を緩めて頷いた。



      山立てとは、漁師が陸の目標物を頼りに船の位置を定める方法だ。



     たとえば陸の目標物を煙突とする。
     二つの煙突が重なって見える延長線は海上に一つしかない。その時、別の方向でビルとビルが重なって見えたとする。二本の煙突も重なり二つのビルも重なって見える場所は、海上にたった一点しか存在しない。



    「ワイは加太岬の木と雑賀崎の突端の岩での山立てを親父から教えてもろうてた。アワビのようけ取れるところやった。それが、開発で岬の山が削られて山立てができんようになったんやしょ。正確なGPSが出来たから言うても、結局昔から引き継いできた漁場は山立てでしか語り継がれてないんやから探すまでが一苦労なんや」
     と言って勇一は古文書を手に取った。



     古文書が山立てを表しているとすれば、和歌山城の真上に満月が乗り、同時に友が島で
    狐が出会った所に財宝が眠っていることになる。
    「でも友が島に狐なんておらんやろぉ?」
     勇一がリエに問いかける。



    「狐ったって何かを暗示してるのよ。岩とか木とか」
     リエは正座したまま背筋を伸ばして腕組みをした。



    「でも神無月って言うたら夜でしょう。夜に見えるんかな」
     ユウコが言う。
    「満月の夜やったら見えるんじゃないですか」
     浩也は勇一の方に顔を向けた。



    「無理やしょ」
     夜海に出たことのある勇一はにべもない。



    「そしたら早朝か夕方の薄暗い時じゃないの」
     ユウコが言う。



    「早朝は月は西よ。東は夕方出た時やわ」
     リエの言うとおり海から見て城は東にある。



    「おいおい明るかったらつむじ風剛右衛門(かぜのこうえもん)さまは、莫大な財宝を隠すところを地元の漁師や誰かに見られるんとちやうか。誰にも見られん暗い時やないとあかんやろぉ」
     勇一はからかうようにリエを見ると庭の方に出た。



     白髪男は腕組みをして考え込んでいる。
     勇一は煙草をくわえるとポケットをまさぐり始めた。ライターが見つからないようだ。



    「あのぉすいません、ちょっと火ぃ貸してもらえません」
     片手を切って覗く勇一をリエがにらみ返した。



    「なるほど、わかったっ!」
     白髪男は腕組みをほどくとにんまりと笑った。



     皆が白髪男に振り返る。






    ガバチャのひとり言

    和歌山城。

    江戸時代に暴れん坊将軍吉宗を輩出した名城だ。

    この城と神無月によって宝の在処は示される。

    「山立て」(やまだて)という漁師が船の位置を確認する方法によって。

    ただし、それは二匹の狐が出会ったときにだ・・・。


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    「山立て」(やまだて)の解説図だよ~ん。

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     黒江の通りはまるで鋸の歯のようにギザギザになっている。家が道に平行ではなく斜めに建っており庭や駐車場が三角形なのだ。



    「なんか家が全部斜めに建ってますね?」
     浩也は姉の背に問いかけた。



    「ああ、これね。結局どうしてかはわからないみたいですよ」
     専門家の研究でも結局わからないとのことだ。



     大八車を止めやすいように斜めに車庫をつくったという説や、この辺りがもともと干潟で潮によく浸かったので潮が引きやすいようなつくりにしただとか、この鋸状の通りには諸説あるらしい。
     姉が説明を続ける内、座席に埋もれていた勇一も体を浮かして家並みを眺めた。



    「ここや、着いたで」
     大きなガラスの引き戸に鈴木民芸品と白字で書かれていた。



     ガラス戸越しに大きな壺や置物が所狭しと並んでいる。車はそのまま行き過ぎて、家の裏の空き地に止まった。



    「ユウコォ」
     車から降りると、姉は家の裏の二階に向かって声を上げた。二階のサッシが開いて若い女が顔を覗かせた。



    「早かったね」


     短髪でふっくらした顔の女が覗いた。
     度のきつそうな黒縁の眼鏡を掛けている。姉は慣れた様子で勝手口から入った。浩也と勇一も後に続いた。
     中に入ると黒っぽい作務衣を着た白髪男が居た。白髪は天然なのか縮れている。背は高くないが、二重顎に合ったふくよかな体躯で足下は素足だ。


    「おおリエちゃんかすっかり大人になったなあ」
     男は目尻に皺を寄せ笑顔をつくったが、直ぐに口元を結んだ。



    「お父さんがほんまに大変なことになったなあ。何でも手伝えることがあったら遠慮無くユウコに言うてよ」
     そう言って男は居間に三人を招いた。


     ユウコがコーヒーとお菓子を持って入ってくる。姉が早速古文書の件を切り出した。



     白髪男は鼈甲の眼鏡を外すと、浩也の差し出した古文書に顔を近づけじっと見入った。

    「そうやなあ三十分ほど時間くれるかな。ユウコ、名手の資料館にでも連れてっておやり」
     男は顔を上げるとまた眼鏡を掛けた。



     三人は、ユウコの案内で近くの酒造りの資料館に行くことにした。



     細い路地を五分程歩くと資料館に着いた。

    「温故伝承館」と言う看板が掛かっている。



     ユウコの説明では、創業百三十年の「名手酒造店」が、実際精米所として使っていたところを資料館に改造したとのことだった。



     中にはいると酒製造器具や道具が所狭しと展示され、大型の精米機や酒槽がそのままの状態で残っていた。酒販用ポスターや蔵人の生活用具も展示されており、当時の生活文化がうかがえる。



     勇一は、一人早足で資料館を見て回ると外に出て行った。



     しばらくして浩也ら三人が資料館を出ると、なんと勇一は向かいの酒造店のテーブルで、冷や酒をあおっていた。



    「あんたなあ」
     姉の剣幕にも勇一は苦笑いだ。ユウコは目を丸くして複雑な表情だ。ほろ酔い加減で店員の女性と知り合いのように話している。



    「なあ、親父にこの黒牛買うていっちゃろうや」
     勇一がビール瓶ほどの大きさの酒瓶を掲げた。
     黒牛とは名手酒造の代表酒である。
     姉は急に怒った顔を緩めると、黒牛を一本購入した。隆三が無類の酒好きだったのだろう。



     骨董品屋に戻ると宝の地図の解読がほぼ終わっていた。



     白髪男は、四人を座敷に上げて説明を始めた。
     ほろ酔いの勇一は、三人の後ろで肘をついて壁にもたれた。



     古文書は江戸時代のものだった。



     寛政十一年神無月の夜に、つむじ風剛右衛門(かぜのこうえもん)が自らの財宝を海に投げ入れ隠匿したと書かれてあった。古文書が正しければ、財宝は言い伝えられている友が島ではなく海の底に眠っていることになる。



    「古文書に記載された金銀宝を時価に換算すると数十億円にも上ります」



    「すっ、数十億円!」
     と、勇一が壁にもたれた身を起こした。



    「ええ、でも財宝を投げ入れた場所ははっきりとはわかりませんよ」
     白髪男は古文書と自分の書いた説明の用紙をみんなの前に広げた。



     古文書には簡単な図が記されてあるが、消えかかって判然としない。



     見ようによっては、和歌山の海岸線を上空から見たような形にも見える。特に、向かって左に伸びた天狗の鼻のような図とその先にある大小の半円二つ。



    「この天狗の鼻は和泉山地から連なった加太岬で、その先の大小の半円二つは間違いなく友が島でしょう」
     白髪男は確信めいていった。



    「そしたら天狗の鼻の下に平行に伸びる線は紀ノ川ですか」
     浩也が言うと白髪男は頷いた。姉のリエも覗き込む。



     その紀ノ川の直ぐ下には十円玉程の円が書かれており、円の真下にはそれとほぼ同じ大きさの三角形が書かれてある。



     白髪男は、三角形の横に添えられた文字を指さした。



    「神無月に虎の伏す、そう書かれています」



     白髪男はみんなの顔を見渡した。



     いつの間にか勇一が前のめりで首を突き出している。





    ガバチャのひとり言

     黒江の町並みは写真のような感じで家が斜めに建ってます。ボクはこれが両側にずっと続くような町並みを探したのですがなかなか見あたりませんでした。
     通りすがりのおばさんに訊いたら今は少なくなったとのこと。
     当時はなんらかの理由で合理的だったのでしょう。

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     和歌山県海南市黒江にある名手酒造店。この向かいに温故伝承館があります。
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     温故伝承館の中を撮影したものです。昔酒を造っていた様子がそのまま残されてます。
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     また、温故伝承館の中には、昔の生活用品などもたくさん展示されています。
     こちらは、みしん。

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     これは、女性の化粧品? なのでしょうか。
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