6月3日は貴志川の解禁だった。
予想以上の人出に少々驚く。
場所はダイモンと呼ばれているところ。
ここにちょっとした知り合いもできたので行ってみることにした。
私が鮎の友釣りを本格的に始めたのは貴志川だと言っていい。
35歳の頃だ。
それより一年前に、転勤先の徳島の勝浦川で始めたころには、シーズン中に10日も行かず、盆前には納竿していた。
「へーお前、友釣りをやるのか」
和歌山に転勤してすぐに職場の先輩に聞かれ、貴志川に連れて行ってもらった。
釣果は数匹だったと思うが、和歌山にもきれいな川があるものだと思った。
やがて先輩は転勤をする。
釣行はいつも先輩の車に同乗していたのでさてどうしようかと思った。
が、自家用車は子育て真っ最中で鮎釣りに使うことはなかなかできない。
と言うか、家族を置いて一人鮎釣りに行くことなど家内に切り出すことも勇気のいることだった。
子供二人は小学低学年。
それでも何度か子供たちを貴志川に水浴びをさせに行く、
と言っては鮎釣り道具を載せて出発した。
浅いところで、子供たちを泳がせながら鮎釣りをした。
少し目を離したすきに
子供たちがオトリカンからオトリ鮎を出して逃がしてしまったこともあった。
やがて子供たちも成長し、土日はサッカーや習い事に行くようになった。
送り迎えを家内に自家用車で任せる代わりに、私は鮎釣りに原付で通うことに。
和歌山市内から貴志川まで40~50キロはあったと思う。
原付に竿を立てられるようにして、たも網と友カンとヒキブネと衣類一式を積み込む。
道行く車から笑われたこともあった。
それでも鮎釣りに行きたくて仕方がない。
一番困ったのは雷だ。
雨だけなら平気だが、雷だけはどうしようもなく怖くて近くの民家に避難させてもらったこともあった。
原付なので一番遠くてもカジカ荘の手前まで。
ダイモンとかの上流には行ったことがなかった。
ある日釣果が10匹を超えたことがあり、一人河原で歓喜した記憶がある。
その場所は神社の下で今でもはっきりと覚えている。
6/3の貴志川の解禁でそんなことを思い出しながら竿を伸ばした。
なかなか釣れず上に下にと動くと、お隣さんとかなり接近することもあった。
振り返るとすぐ後ろに上手の釣り人が居て驚いた。
私はすいませんと頭を下げた。
釣り人は、浮かぬ顔で「あんまり掛かりまへんなあ」といった後少し口を尖らせた。
「後から入ってきといて、先に釣っていた自分が何で文句言われなあかんねん。なー」
ドキッとしたが、私のことではなかった。
朝方、そのようなトラブルが他の釣り人とあったと私にぼやいているのだ。
確かに、この狭い川に竿一本間隔で並んでいる。
普段は平穏な人でも、この時ばかりは平常心ではいられないのだろう。
皆、多かれ少なかれそうなっている。
たぶん自分も。
私は少し興ざめして竿を置いた。
しばらくするとその釣り人も竿をたたんで引き上げていった。
釣り場の間隔があく。
上手の釣り人を見ると、3つほど連続で型のいいのを掛けた。
その様を見ていると、その釣り人もサングラス越しに私を見ている。
私は会釈した。
釣り人は手を上げるとサングラス越しに口元を緩めた。
ゆるり近寄ってみた。
80は近いのではないかというご老人だ。
「そこの落ち込みにな、ようけ鮎がたまっとるんじゃよ」
指さす方向でポンッと鮎が跳ねた。
「わしゃ今から昼飯にするんでな、よかったらここで釣ってみなさい」
おじさんは笑顔で踵を返した。
見上げると、小道の上にポツリと女性が立っている。
きっと近所の方なのだろう。
娘さんが迎えに来たのだ。
自分がさっき連続で鮎を掛けた場所を他人に譲る。
こんな気遣いが今この瞬間の私にできるだろうか。
きっと昼飯も食わずに釣り続けるか、あるいは竿を伸ばしたまま置いて車に昼ご飯を取りに行って速攻降りてくるぐらいのことしかできないのだと思う。
なぜだか私はご老人の掛けていた場所におとり鮎を入れる気にはなれなかった。
ただ、放っておくと他の釣り人がすぐに入ってくるに違いない。
私はその場所がとられないように、ポイントをずらして釣ることにした。
老人の気遣いに応えたいという気持ちが、そのような行動をさせたのかもしれない。
自分でもうまく説明できない反応だ。
いつかテレビで
「思い出と戦うな」と言っていた。
何のことかと思ったら、自分の過去を振り返り絶頂期だった頃の自分と今の自分を比較するなと言うことである。
そして、その思い出にも浸るなと。
今の自分がこれからどう生きていくのかが大切で、そのことを考えろということだ。
確かに前はできていたことができなくなった。
そのことに歯がゆさを感じて鮎釣りをしている自分が見える。
そのような者にこのご老人のような気づかいは生まれないだろう。
見習うべきものに触れたような気がした。
ご老人が昼飯を終えて戻ってくる。
「どうでしたか?」
老人の問いに
「ありがとうございました。少し楽しませてもらいましたわ」
と私。
刺すような日差しの中で、互いの顔がほころぶ。
貴志川の川面が眩い‥‥‥。
私は競り立った山を見上げるとやおら竿を担いだ。
老人に会釈をすると
またゆるりゆるりと下流の方に歩いて行った。
ありがとうございました。 また会いましょう!