昨年徳島市の勝浦川で鮎釣りをした時の記事です。

 徳島市内に流れ込む勝浦川はボクの鮎釣りの原点です。
 20年前、神戸から徳島に転勤して家族4人で木造の古い社宅に入り、四年間暮らしました。子供はまだ二人とも保育園。その徳島時代にお祖父さんから鮎釣りを教わり、初めて自分1人で釣行した川が勝浦川でした。

 徳島市内から半時間ほどで釣り場に到達できるきれいな川。
 デビューは、一匹も掛けることが出来なかったことをハッキリと覚えてます。

 実は当時家内との夫婦仲が最悪で、ボクは6月末にもらったボーナスをもって逃亡しました。もうどうなってもええわ、と言うステバチな気持ちで街をさまよって、釣具店の看板が見えたとき「そうや」と思いました。

 自分の働いた金で好きなものを買ってなにが悪い、と。
 その頃ボクのボーナスからの小遣いは五万円で、これも少ないといつもケンカのネタになってました。

 ボクはボーナス袋から金をがばっと取り出し、鮎竿からタイツまで一式15万円ほどを使いこんでしまいました。
 盗っ人猛々しいと言う言葉がありますが、正直気分が晴れました。

 このまま数日どこかの川に行って鮎を釣ろう。
 ボクはその釣具店のオヤジに訊きました。

「どこの川が釣れていますか?」
「今年は勝浦川がよう釣れとんじょ」
 よし勝浦川に行ってみよう。そこで今晩寝て、後のことはその後で考えたらいい。と勝手気ままに車を走らせました。
 ところが日が暮れたら急に意気地がなくなって、真夜中になって帰宅。

 もう午前2時ぐらいなのに家には灯がともり家内は起きてました。
 ボクはバツの悪そうな顔で「これ」とだけ言ってボーナス袋を渡しました。

 家内が中身を確かめると疲れた目で「なんに使った?」と訊きます。
 ボクは「鮎釣りの道具」とだけ答えました。

「あんた鮎釣りやってた?」と家内。
「これから・・・やる」とボクは視線を外しました。

 家内は大きなため息だけつくと黙って寝室に向かいました。
 ボクは時間をおいて家内と子供らがざこ寝する布団にそっと入りました。

 次男が眠ったままボクにしがみついてきます。
 寝苦しいほど蒸し暑いのに、ボクは次男を抱いたまま眠りこけてしまいました。

 この頃は自分でもひどかったなと思います。精神的にもグラグラしてた綱渡りの時期。 まぁよくも転落しなかったものだと思います。

 その後、休みごとに勝浦川に鮎釣りに行きました。
 時には子供を連れて泳がせながら釣りました。
 いつも2、3匹で10匹も釣れたら大漁で大喜び。

 でも家内はボクの釣った鮎を食べてはくれませんでした。
 今もです。
 家内は「ただ鮎が好きでないだけ」と言いますが・・・。

 そんなことを思い出しながらボクは勝浦川へと向かってみました。
 その頃よく通った堰堤に行ってみよう、と。
 18年ぶりでした。
 さすがに川相は変わっていましたが堰堤や大きな石はそのままです。

 あの時鼻カンもろくに通せなかったのに、とボクはおとり鮎に素早く鼻カンを通し瀬に送り込みました。と、いきなりダダンガンガンッ! と強烈なアタリ。

 野鮎に竿をのされたボクは必死で下に走ります。滑ってつまずいて、尻餅をついて這ったまま竿を立ててずぶ濡れで耐えました。ものすごい引きです。

 やっと取り込んだのは24センチのでっぷりした鮎。ボクは真っ青な空を向いてウホォーッと奇声を上げると川にへちゃりこみました。

 対岸には一面黄色のひまわり畑。そこにカブのおじさんが乗り付けて「釣れとるかぁ」と声を上げます。「今でかいのが来た」と返してボクは手を振りました。

 息が切れてます。
 熱波で景色が茹だってゆがみました。

 いつの間に18年も経ったのだろうか・・・。
 胡蝶の夢とは、よく言ったものです。

 ボクは沸き上がる入道雲を遠望しながらゆっくりと立ち上がると、足下を確かめながらまた上流のポイントへと足を進めました。


鮎釣り師のひとり言

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