いつの間にか船は速度を落として港内に入っていた。



 今年の神無月の満月は十二月五日。



「貴志さん、ありがとうございました」
 浩也は下船して丁寧に頭を下げた。



「で、十二月五日行くんか?」
「はい、お願いします!」
 深々と頭を下げる浩也の足下に、舫ロープが飛んできた。



「それ、結んでくれや」
 勇一は浩也に指図したが、浩也は結び方を知らない。リエが教えようとすると勇一が上がってきた。



「こんくらい知っといてもらわなぁ神無月の夜に足手まといにならあ」
 白い歯を見せると勇一は浩也に結び方を教えた。




 数日後、浩也は松江から自転車に乗って、久しぶりに西ノ庄の山手にあるハーブ園に行った。母と西ノ庄のグリーン団地にいた頃に、二人でよく散歩に来たところだ。



 母はハーブが好きでここに来たのではなかった。
 ここから和歌山の海を眺めるのが好きだったのだ。



 浩也の幼い頃―――。



 ハーブ園の眼下には、市街地から続く海原が広がっていた。母はしゃがむと自分の肩に手を置いて顔を寄せた。



「浩也、あの船見ておっきいでぇ」
 住友金属に向かう大型の貨物船だった。



「お父ちゃんなぁあそこで働いてたんやで」 
 母は、市街地の中に林立する大きなタンクや煙突の方を指さした。それは住友金属だった。



「何してたん?」
 浩也は小学生の低学年だった。



「鉄よ、鉄。鉄っていう大事なもんつくってたんよ」
「テツ?」



「もうちょっと大きいなったら学校で習うわ。世の中のためになる大事な仕事や。お父ちゃんはな、あの和歌山の住金で毎日一生懸命鉄をつくって、今の日本の便利な世の中をつくったんや。日本だけやない、世界中のためになったんやで。ただ、お父ちゃん働き過ぎたんや・・・・・・」
 母はそこまで言うと涙を流した。



「お母ちゃん、ぼくが大きいなったらテツいっぱいつくるわ」
 浩也は、遂に母からは父の死因を聞かされずじまいだった。
 親戚のおばさんから、ある日突然逝ってしまったと言うことだけ聞かされただけだ。



 浩也は、どんな死に方でも人間死んでしまえば皆同じだと思った。
 眼下の和歌山の海は、いつもと変わらずただ青々とした海水をたたえているだけ。浩也は、平然となずむ和歌山の海にやりきれないもどかしさを感じた。 



 十二月五日の夕方、西脇漁港に集まった三人は山立ての道具を隆栄丸に積み込んだ。
 道具は灯油の入ったポリタンク二つと笹竹。笹竹の端にはロープで結わえられたおもりのブロックが二つついている。
 リエは父への供養の花束と酒を下げていた。酒は黒江で買った黒牛だ。



「その笹竹、位置出しして沈めるんですか」
「ああせっかくやからなあ」
 浩也の問に勇一がにたりと答えた。




 笹竹は、定めたポイントの目印として沈めるためのもの。
 やはり、勇一は数十億円もの財宝を探すつもりなのだ。浩也にはそこまで付き合うつもりはない。母の手がかりを得ることで頭がいっぱいだ。
 
 この航海で何も得られなければ諦めざるを得ない。その後、勇一が誰と財宝探しをしようと浩也の知ったことではないと思った。



 隆栄丸が薄暮の港をゆっくりと滑り出す。陽は西の海に落ちきっていた。



 沖の島に着くと、浩也がポリタンクを持って船から降りた。
 浩也は崖を這って鉄筋籠に達すると、流木を集めて詰め込んだ。浩也を下船させた勇一はリエと共に地の島に向かう。



 三人は、それぞれの島で暗くなるのを待った。



 浩也は沖の島を選んだ。理由は沖の島の方に母が上陸した可能性が高いからだ。それは鉄筋籠の位置が地の島より低いことと、沖の島の方には船をつなぎ止める木が近くに生えていない事。



 おそらく隆三は母を沖の島に降ろし、一人で地の島の方に行って磯の傍らに生える松の木に船をつなぎ止めた。二人はそうして紀伊水道が暗闇になるのを待ったはずだ。



 風が強い。浩也の身体は一挙に冷やされた。しゃがみ込むとフリースのフードをすっぽりとかぶって膝を抱えた。吹きさらされた岩が浩也の腰を冷やす。たまらず立ち上がって松の木にもたれた。少しだけ風が遮られる。



 西の空の夕焼けが眼球だけを温めているようだ。
 それは美しいというよりかは不気味な赤さだった。水平線に墨筆を真横に引いたような雲が広がっていて、その水平な裂け目から漏れる夕日が、ちょうど火のついた炭火の芯のように赤らかと燃えている。



 母はここでどんなことを考えていたのか。



 浩也は中学二年の時、母に東京の大学に行きたいと漏らしたことがあった。
 通知票の成績が良く、先生からほめられて有頂天になっていた学期末の日だった。



 母が喜んでくれると思って言ったのだが、喜びの笑みではなく真剣な顔つきになった。 どんなことをしてでも東京の大学に行かせてあげる、と母は自分の手を強く握った。



 お金のことなど考えもせずに、浩也はつい軽はずみなことを言ってしまったことを後悔した。
 そのことがずっと重荷になって、高校に入ってからやはり就職したいと言い直しても母は言うことを聞かなかった。



 母が学費のことで悩んでいるのではないのかと思うと、辛かった。お金のために、本当はあまり好きでもない隆三と付き合っていたのではないのだろうか。自分を東京の大学に行かせるためにあんな男と一緒になろうと考えていたのではないのかと。



 浩也は急に居たたまれなくなって、立ち上がると大きな奇声を上げた。奇声はあっけなく潮風に消された。



 見下ろすと怖気立つほど濃い海水が、音もなく砕け散っている。
 浩也は、眼下の遙か海水の奥深くに吸い込まれそうな気分になり怯んで後ずさりした。 眼下でゆっくりと同じリズムでうねり返す海水は、いつの間にか黒と白の二色になっていた。



 腕時計が六時半を指している。勇一と示し合わせた時間だ。
 浩也は、鉄筋籠の流木に灯油をかけた。マッチを一本すってその籠に投げ入れた。ぼわっと火がつく。浩也は全ての流木に火が回ったのを確認すると、急いで岩場を降りた。



 隆栄丸の灯りが東の方から近づいている。



 浩也は海に背中を向けると這い蹲って岩場を下りきった。意外にも隆栄丸は既に岩場に着岸していた。
 浩也はさっき隆栄丸だと思った船の方を見た。真っ暗な海には明かりはない。やはりさっき見たのは隆栄丸だったのだろう。暗闇なので距離感がないのかもしれない、と浩也は思い直した。



「ど、どぅや上手く火ぃついたかっしょ」
 勇一がせかすように言う。
「はい」
 浩也は答えると隆栄丸の艫にしゃがみ込んだ。
 隆栄丸が真っ暗な海を東に進み始める。



「わぁ」
 浩也は東の空を仰いで思わず声を上げた。



 地の島の切れ間に黄金色の満月が浮いている。



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