信じてもらえないかも知れないが、今年どこでどんな釣りをしたかを振り返るとき、1000匹も釣っているのに一匹一匹の掛かるシーンを場所に応じて連鎖的に思い出すことができる記憶力を持っていた。
 そう、過去形なので今は違う。

 加齢と共にそのようなこともできなくなって、今年などはよほど印象に残った釣りでも断片的で順序もばらばらだ。

 思い出す力が及ばないほど、昔のことだったような気さえする。
 年を取ると時間の経つのが早くなると言われているが、私もそう思う。

 60歳のおじさんと10歳の子供とでは同じ1時間でも体感が違うらしい。
 60年の内の1時間は1/60で、10年の内の1時間は1/10となる。
 よって、60歳のおじさんの1時間は10才の子供の1時間の1/6しかなく、6倍の早さで過ぎ去っていくというのだ。

 どこかおかしな計算だが妙に腑に落ちるところもあるではないか。

 若い頃は記憶力のいいやつだと言われた。

 今でも、覚えなければならないと思ったことは覚えられるものだと思っているし、反対にどうでもいいことはいつまで経っても覚えられない。

 勉強も人間関係も同じだ。
 
 バーなどでカワイイ女性の名前を聞いたら絶対忘れない。
 が、いつも顔を合わせる常連のおっさんの名前は何度聞いても忘れている。

 幼なじみの女性といい年になってメール交換をすることになったとき、私があまりにもいろんな過去を覚え ているのでコワくなったと言われたこともあった。

 自分にとって何気ない記憶が他人にとっては思い出したくなかった記憶の場合もある。

 記憶力がいいというのも考えものだ。
 楽しいことも嫌なことも残ってしまう。

 「忘れる」という脳のダイエットは大切な自律作業なのだろう。

 テレビでやっていた「そばのひ孫と孫は優しい子かい?納得!」

 こんな事をいちいち覚えて食事の度に思い出したら、脳が疲れて美味しい食事も台無しになるのではないか。
 何事も、本能を発揮するときは無意識が一番楽しいと思う。

 脳も体も自然に枯れていい。
 遅かれ早かれ寿命は尽きる。

 私はそう思って生きていきたい。


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